当たり前の話ですが、『世にも奇妙な物語』には"シナリオ"というものが存在しています。
シナリオといえば、物語の台詞と状況説明が書かれた映像作品の設計図。小説と違って淡々としているので、読んでも別に面白くはないと思っている方も多いでしょう。……しかし、実は意外とそうでもないのです。
そもそも、シナリオは誰が見ても判りやすく場面をイメージできるように書かれているため、放送版で不可解なシーンや展開などがあったとしても、台本を見ることで「そういう表現なのか」と理解できたりします。「世にも」の場合、そういう作品が結構ありますよね。
そして、もうひとつ重要なのは『放送ではカットされたシーンが載っている場合があること』。ただの余分なシーンだと思うなかれ。意外とその部分こそが、物語の不可解な点を解く鍵になることも……。公には語られていない"あの作品"の深い部分を知るというマニアックな楽しみ方がここにはあるのです!
という訳で、今回は放送版でカットされてしまった幻の没シーンの数々を実際のシナリオから引用してご紹介していきましょう。
◆ 冷やす女
最初にご紹介するのは、『'00春の特別編』で放送された「冷やす女」。怪しげな演技からコミカルな演技まで幅広くこなす俳優の豊川悦司さんが脚本監督を務められた感動作ですね。
そんな本作の印象深いラストシーンの文章がこちら。
○アパート・中
朝日が差し込む部屋。
水浸しになって、男の服にしがみ付いて、泣きじゃくる女。
はい、本編をご覧になった方には説明不要の切ないラストですね。これ以上無いほどの良い終わり方。……しかし、実際のシナリオはここで終わりではなかったのです。
そう、実はこの感動的なラストの直後に没シーンが存在しているんです。
一体その幻となったラストシーンとはどんな内容なのか。……早速その箇所をご覧いただきましょう。
○雪山を舞うヘリ(スローモーション)
○アパート・中(後日・夜)
女と後輩OL、AとBが鍋で盛り上がっている。暖かそうな部屋。
A「ウッソーだあ!」
B「やだあアタシ、泣いちゃったあ!」
B、本当に涙を拭いている。女、それを見て微笑む。
A「センパイ、話し方うまいんだもの。だまされちゃうよ」
B「でも、なんか、怖いんだけど、ラブ・ストーリーじゃん。一応」
A「センパイ、それで小説書けますよ」
B「まるで雪女だね、現代の」
女「そうなの、雪女なの。今日は特別あったかいのよ、ここ」
A「(笑って)何言ってるんですか、もう」
A、ふと壁にかけられた多くの温度計に気付く。
A「……もう……」(と真顔になる)
B、気付かずに笑っている。
女「実はね、結局まだ一緒にいるの。離れられなくて」
B、笑いが止まる。
女「会ってみる? ケンちゃん、楽しい人なのよ」
AとBが固まってる中、女、冷蔵庫に近づく。ドアを開ける。
画面真っ白になる。
END
ある意味ハッピーエンド。コミカルかつ不思議な余韻を残すラストといった印象じゃないでしょうか。これを読むと、本来の映像のイメージがまた少し変わりますよね。
このラストシーンは決定稿(完成版台本)にも存在しているようなので、映像版もほぼこれでいく予定だったのでしょう。となると、もしかしたら撮影も済ませていた可能性がありますね。
とはいえ、本作の魅力はあの『美しく切ないラスト』にあると思うので、若干蛇足感のあるこのラストをカットした判断は、実に正しかったのではないでしょうか。
◆ タガタガの島
続いてご紹介するのは1992年に第3シリーズで放送された『タガタガの島』。本作はパラオで撮影された番組唯一の海外ロケ作品。バブルの余韻がまだ色濃く残る時代の一編です。
そんな本作の没シーンも『冷やす女』同様、ラストシーンの直後にありました。しかし、今回の没シーンは『映像では語られなかった真相』が明らかとなる、かなり重要な箇所だったりするのです。
その真相をご紹介する前に、まずは『タガタガの島』プロローグでのテラーの語りを引用しましょう。
私は昔、海洋汚染で全滅の危機を迎えているサンゴ礁の島を訪れたことがあります。
サンゴが死に絶えれば島を支えているサンゴ礁も無くなり、島は海に沈んでしまいます。しかし、現実にはそうはなりませんでした。
地元では、そこを奇跡の島と呼んでいます。
その奇跡の島こそが、本編に登場する『タガタガの島』であることは誰にでもお分かりいただけると思います。とはいえ、実際の本編の内容とはそこまで関係のない語りだと思われる方もいるのでは……それ、大間違いなんです!
ここで何故テラーが本編に何ら関わってこない話をしているのか……その答えはズバリ、『その奇跡が起きた真相』部分がカットされてしまったからなのです。
では、その真相とはどんなものなのか。映像版のラスト直後の部分からご紹介しましょう。
○小島・外観
N「また少し珊瑚が生き返った……全滅した珊瑚をゾンビとして蘇らせる……その為には生贄が必要だ……
生贄には人間の生首が一番……呪いをかけて首を切り、それを捧げる……呪いをかけるためには、その人間の持ち物何か手に入れなければならんが……
幸いにも、この島には観光客が大勢来て、よく空き缶を捨てていく……珊瑚は半分しか生き返っていない……残り半分をゾンビとして蘇らせるには、まだまだ人間の首がいる……
さて、空き缶を拾いに行くとしよう……」
○同・砂浜
沖に去っていくクルーザー。砂の上に捨てられた空缶……。
映像版だけだと『ポイ捨てによる因果応報的なお話』という印象が残りますが、この没シーンを踏まえてみると『タガタガの島』の真の恐ろしさがわかってしまいますね。……世の中にはこういう没シーンもあるんだよということで。
◆ 13番目の客
最後にご紹介するのはSMAPの特別編で放送された名作『13番目の客』。ここにも没となった箇所が存在しているのです。
その箇所とは、本編では明かされなかった『最後の段階の意味』
先日放送されたドラマレジェンドSPで「13番目の客」を初めて見た方々が「最後の段階とは一体何なのか?」と言う事であちこちのブログでも考察をされているのを拝見しましたが、実は台本段階ではちゃんと答えを明かす予定だったんですね。
それでは気になるその答えを映像版のラスト部分と共にご覧ください。
○理髪店・入り口
駆け込んでくる本田。その顔が青ざめていく。
二本の柱だけが立ち、建物が見えない。
本田「見えない……見えない……何処に行った。入れてくれ。もう一度俺を入れてくれ! もう一度!」
ストーリーテラーの声「この理髪店を出た後に待ち受けるもう1つの試練。それは、この店の秩序に依存する心との戦いなのです」
はい、このたったひとつの台詞があるか無いかで大きく違いますね。
一見カットするほどのこともないように思えますが、ここをあえてカットすることで物語のテーマを際立たせようとする『引きの美学』が、本作を名作たらしめる要因となったのは間違いないでしょう。
以上、3作品の没シーンをご紹介しました。ひとくちに没シーンと言っても、そこには色んなタイプがあるのがおわかりいただけたかと思います。
『没にする』というのは良い作品を作るために必要な作業ではありますが、マニアとしてはそんな存在も愛おしく、大いに気になってしまうもの。奇妙な世界はまだまだ奥深いですね。
これら以外にもまた何か見つけましたら、このブログでご紹介していきたいと思いますので、第2弾、第3弾にも是非ご期待いただければ。