世にも奇妙な物語 ブログの特別編

「世にも奇妙な物語 ファンサイトの特別編」管理人のブログです。

謎の「世にも」オタク、最上義雄氏

先日、とある世にもファンの方からメールをいただきました。

その内容は「この本に出ている『最上義雄(仮名)さん』とは、管理人さんのことですか?」というもの。

 

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その本とは2012年に古谷ツネヒラ(古谷経衡)氏によって出された『韓流、テレビ、ステマした-韓流ゴリ押しの真犯人はコイツだ!』。昨今のTV局の韓流偏重問題を中心に扱った本でして、その中に登場する「世にもオタク」が私ではないかとの事でした。

 

ちょうど近所の図書館にその本があったため、早速問題の箇所だけ目を通してみました。ちょっと原文を引用。

 

「テレビからインテリジェンスや創意工夫がなくなっていく課程」そのものを追体験するような、ある有名シリーズ番組を思い浮かべることができるだろう。1990年から放送が開始された「世にも奇妙な物語」である。本シリーズは当初オムニバス形式で放送された創作ドラマであったが、番組開始当初からその作品完成度は高いと話題で、若手映像監督の登竜門とさえいわれるようになった。

 

私はこの『世にも奇妙な物語』がどのように変遷を迎え、またそれがいかにしてテレビが劣化していったかの相関を探るべく最上義雄氏(仮名・東京都・40代)を訪ねた。

 

「まさしく『世に奇も』はテレビの良心と知性のバロメーターだった」

 

としみじみと語り始めた最上氏は、世にも奇妙な物語』がテレビで放映されてから実に20年以上にわたって同作を見つめてきた「世に奇も」オタクであり、それが高じて『世に奇も』の非公式ファンサイトの運営なども手がける極めて熱心な視聴者の一人である。今回、私も大の『世に奇も』ファンであることから、最上氏との会話は実に弾むことになった。

 

こ……これは……!

 

確かに私だと思われそうな箇所もあり、「世にも奇妙な物語 非公式ファンサイト」で検索するとうちが一番に出てきます。そういえば昨年辺りから変な検索ワードで来てる人がいるな…と思ってたんですよね。

 

さて、結論から言えばこの最上氏は私のことではありません

私が番組名を略す時は必ず「世にも」と言いますし、取材を受けてたらサイトかブログ上で告知していますからね。

 

 

と、本来ならばこれで終わる話なんですが……

 

ここから先の内容がいくらなんでも酷すぎるんですよね!

 

最初は「○○の管理人さんかな?」なんて思いつつ読み進めていたんですが、どう見ても私の知っているファンサイトの管理人さんによる発言とは思えない雑な知識に基く適当なコメントの数々……。

 

いや、適当なだけならまだしも、わざと読者に誤解を招かせるような悪意まみれの言い方をして、番組に間違ったネガティブイメージを植え付けるという非っ常にタチの悪い内容に。

 

個人がネットに書き連ねているだけならまだしも、こういう媒体で…さらに番組に詳しそうな肩書を使ってこんな悪意たっぷりに滅茶苦茶な事を喋られたんじゃ、「世にも」ファンの一人として黙っているわけにはいきません。しかも、調べてみるとこのファンサイト運営者は実在しない人物である疑いも出てきて、こんなのと私が誤解されているのだとすれば余計です。

 

そういうわけで、ここからは文章の一部を紹介しつつ、厳しくツッコんでいきたいと思います。

◆ 内容へのツッコミ

まず最上氏は番組の概要と名作の紹介をした後、90年代後半~00年代前半から質の低下が始まったと語り始めます。この点に関しては、私含め多くのファンから言われてる事なので特に異論は無いんですが、問題はここから。

 

「世に奇も」が変質するのは明らかにジャニーズ系のアイドルが主演に登用され始めた90年代半ばからです。

 

まずSMAP木村拓哉さんが「トイレの落書」(1995)に主演。非常に話題となったため、以後SMAPメンバーの「世に奇も」出演は常態化します。

 

中居正広稲垣吾郎草なぎ剛香取慎吾とメンバー全員が2000年までに出演。それは別に悪いことではないのですが、脚本的秀逸性や社会風刺といった側面が犠牲にされ、ドラマのクオリティよりも話題性を第一に重視した作風へと変貌していきます。

 

実際、当時の「世に奇も」の番宣はSMAPの誰々が出演する、という手法で大々的に行われていました。それらの集大成がSMAPメンバー全員がそれぞれ1話ずつの主演を演じる「SMAPの特別編」(2001年元旦放送)です。

 

別に私はジャニーズがダメ、SMAPが嫌いということを言っているのではなく、単純にこの時期から作品の質よりも話題性が先行した、という客観的な事実を申し上げているのです。

 

いやいやいや…なんですかその説明は!

 

最初は番組を鋭く批判してくれているのだろうと期待していたんですが、ここを読むなり「あぁ、この人絶対20年以上も番組見てないし、大して番組の事知らないな…」と腹が立つやら哀しいやら。

 

とりあえず主だった所だけ突っ込ませていただくと↓

◆ 「世に奇も」が変質するのは明らかにジャニーズ系のアイドルが主演に登用され始めた90年代半ばから。

 

番組初期(初出は1990年7月の第7回)からジャニーズタレントは定期的に起用され続けています。また、木村さんの初主演は「トイレの落書」でなく、レギュラー期の「言葉のない部屋」(1992)です。

 


◆ 脚本的秀逸性や社会風刺といった側面が犠牲にされ、ドラマのクオリティよりも話題性を第一に重視した作風へと変貌していきます

 

番組関係者のインタビュー等を見る限り、そういった方針転換が番組側でなされた事実はありません。番組初期・2000年代初頭・10年代に入ってからも、番組側が求める脚本の話になると、「鮮やかなどんでん返し」と「社会風刺」の2点がほぼ必ず語られています。ネタ切れやマンネリ、人材不足が言及されることはあっても、スタッフ側から脚本軽視を匂わせる発言も皆無です。

 

また、この番組は放送スタート時からキャスティングの話題性をある程度重視していたのは明らかなので、何故90年代半ばから話題性重視になったという見解になるのか判りません。(この辺りについては後述)

 

風刺についても、マスコミや大衆の好奇心を大いに皮肉った「パパラッチ」、 表現の自由の弾圧をコメディチックに扱った「ダジャレ禁止令」、閉鎖的なルールに縛られる愚かさに立ち向かう「公園デビュー」、国民総マニュアル化を皮肉った「マニュアル警察」、ほかにも「発電課長」「13番目の客」「友達登録」などなど……レギュラー期と比べて遜色ない物はコンスタントに放送されており、ファンから名作と呼ばれている作品も多いのですが、何を持って社会風刺を犠牲にしたという結論に至ったのか甚だ疑問です。

 

そもそも、SMAPの起用でどのように作風が変化したかという具体的な説明が文中に一切無いので、「その時期からなんだか面白くなくなったからそうなのだ」という主観の域を出ていないように感じます。

 

さらに本の中で最上氏が挙げられている個人的名作の中に、件の時期に作られた作品(友子の長い朝、熊の木本線)が含まれているだけでなく、最高傑作というフレーズまで出てきているのですが……その時期は脚本や風刺を犠牲にしていたんじゃなかったんですか!?

 


◆ 当時の「世に奇も」の番宣はSMAPの誰々が出演する、という手法で大々的に行われていました。

 

あの……そんな露骨な宣伝を見た覚えが全くないのですが…。

 

この番組のスポットCMは昔から、テーマ曲と共に各話の映像が一定時間流されて最後に放送日のテロップというパターンが決まっているので「SMAPの○○が出演!」みたいな下世話なテイストって、普通は無いはずなんですよね。

 

一応録画に残っている分の番宣をチェックしてみても、該当するような物は見当たらず。当然、SMAP出演回の物も所有しているものをいくつか確認してみましたが、前述の基本パターンに沿ったもので特に優遇されている箇所も見当たらず……。

 

私個人もそういう番宣は快く思わないタイプなので、見ていれば絶対覚えていますし、かなり憤慨してるはずなんですけどね。仮にSMAPの特別編のことだとしても、元旦SPということでスポットはよく流されましたが、そこまで露骨な内容ではなく、番組のカラーに沿っているテイストでしたし……。

 


◆ 単純にこの時期から作品の質よりも話題性が先行した、という客観的な事実を申し上げているのです。

 

SMAP起用=作品の質を犠牲にしたという根拠が「番宣手法とSMAPの特別編の制作」のみで、内容の変化について一切具体的に触れられておらず、全く客観的とは思えません。

 

個人的には歴代ベスト3に入ると思っている「SMAPの特別編」を質の低下の根拠にされるのはちょっと納得できなかったりもしますが……そもそも「人気タレントの起用」と「脚本のクオリティを上げる」ことは両立不可能ではないですよね。

 

同じ世にもマニアとしては『こんな妙な見解を出さなくても、もっと具体的に指摘できる事例があるだろ!あれとかあれとか!』……と思ったりも。

とまぁ、ここまで読むだけで頭が痛くなりそうだったんですが、さらに続く内容にまたグッタリ……。

 

さらに最上さんの考察は続く。

 

「特にその傾向が酷くなったのは、ゼロ年代後半。「世に奇も」の看板だったSMAPの後輩に同じジャニーズの「嵐」を据えたいという思惑があったのでしょうか、松本潤櫻井翔、などが相次いで主演。それでも飽きたらず、TOKIO城島茂関ジャニ∞横山裕生田斗真など、とにかく「世に奇も」がジャニーズに占拠されてしまった。当然脚本は低劣化し、社会風刺ではなく単に滑稽なお話、単なるギャグというバラエティの寸劇レベルにまでクオリティが落ち込んでしまった。古尾谷雅人風間トオル片岡鶴太郎林隆三鶴見辰吾といった重厚な俳優が消え、単なるジャニーズのお披露目番組になってしまった「世に奇妙も」。

 

決定打としてはもはやジャニーズですらなく、塚地武雅などの吉本系お笑い芸人を使い始めたのが2010年代。もはや「世に奇も」の持つ社会風刺や現代的シュールレアリズムの面影はどこにもありません。

そこに知性も教養も存在せず、あるのはただ話題先行の当世芸能人だけ。

 

「世に奇も」に「ちびまる子ちゃん」が出てきた回(2010)にはさすがに怒りで痙攣が起こりました。もはやリアリティーラインまでも捨てたのか、と。まともな脚本を書く奴が誰一人いないのか、と

 

次第に口角泡を飛ばし始めた最上氏をなだめながら、しかし同じく「世に奇も」オタの私としては実に同意せざるを得ない内容だった。

 

お、同じオタなのに全然同意できない…(-▽-;)

 

もう突っ込むのも面倒くさいというか、自称オタが聞いて呆れるというか…。人それぞれ意見が違って当然だよね、というレベルの話ですらないという…。

 

本当に面倒くさいですが、引き続き突っ込んでいきます。

「世に奇も」がジャニーズに占拠されてしまった。

上記の文章だけ読むと「そりゃひどい。本当にジャニーズばっかりだ」と思われる方も多いことでしょう。

 

では、2006年~2010年の5年間で放送された全50話中、ジャニーズタレントの出演作は何作品かご存知でしょうか。占拠というからには、20作、いや30作くらいはあるでしょうか?

 

……正解は7作です!

 

平然とこんなことを言う時点で、全然客観的な意見ではないのがよくわかるというもの。

 


重厚な俳優が消え、単なるジャニーズのお披露目番組になってしまった

 この文章の卑怯(という表現をあえて用いますが)な所は、ジャニーズの出演者は詳細に羅列する一方で、ジャニーズばかりで劣化が激しいとされるゼロ年代後半の他の出演者を一切書かないこと。

 

私が代わりに他の出演者をざっと書いてみれば、椎名桔平佐野史郎小日向文世松下由樹船越英一郎堺雅人谷原章介大竹しのぶ石坂浩二西田敏行などなど……役者として正当に評価されている顔ぶれも多数出演されているんですよね。

 

これらの名前を意図的に隠して「重厚な俳優が消えた」と結論づけるのは、我田引水にしてもひどすぎるのではありませんか?

 


塚地武雅などの吉本系お笑い芸人を使い始めたのが2010年代。もはや「世に奇も」の持つ社会風刺や現代的シュールレアリズムの面影はどこにもありません。

 

恐らくそこそこ番組を見てきている若いファンですら、この部分で確実に『えっ?』となるはずでしょう。

 

それもそのはず……

 

昔からお笑い芸人は起用されていますからね!

 

なんせ、第3回に初登場した関根勤ルー大柴に始まり、明石家さんま間寛平ウッチャンナンチャンダウンタウン坂田利夫西川のりおなどなど……ある程度作品を見ていたら、お笑い芸人やお笑いタレントが出演している事例なんてザラにあるわけで、20年以上番組を見続けてきたマニアが今更そこに呆れること自体、どう考えてもおかしいんですよ!

 

こんなの『私はジャニーズと吉本芸人が嫌いだから出演すると冷める』と言えばいいだけの話じゃないですか。

 


◆ 「世に奇も」に「ちびまる子ちゃん」が出てきた回(2010)にはさすがに怒りで痙攣が起こりました。もはやリアリティーラインまでも捨てたのか、と。 

この部分は、20周年用に行われた「フジテレビの人気番組とのコラボ企画」回という超レアケースの話ではありますが、私も当時はかなり憤慨しました。このブログでも歴代最低回の評価を下しましたしね。

 

ただ、ひとつだけ突っ込ませてください。

「ちびまる子」コラボを見て、ついにリアリティーラインを捨てたと最上さんが怒るということはですよ……世にも史上一番の怪作であり問題作である……

 

「ママ新発売!」('01秋)は、リアリティがあったってことですか!?

 

ともさかりえやYOUやぐっさんが小学生役で、いかにも中島哲也風の派手な世界で歌ったり踊ったり、オナラで空を飛んだり、ママの胸からミサイルが飛ばされるような……

 

最上さんの発言を見る限りでは、ご自身が怒り狂いそうなあの作品は、リアリティがあって許容できたということなんですか……!?

 

数々の問題作と比べれば、「ちびまる子」コラボ回なんてまっとうであまりに優等生的な作りだと思うんですが…本当に番組を初期から見続けてきているのであれば

 

……ふう、疲れました。一通り突っ込んてきた私の感じ方としては、最上さん…あなた絶対ファンサイトを作ろうと思うほどのマニアどころか、大して作品を見てきてないですよね!? 初期から番組を見てるだけの普通のファンですら言わないであろう、ヘンテコな発言が多すぎるんですが…!!!

 

どうも、自身の好き嫌いと知識の無さから来る偏見の正当性を担保するために、世にもマニアを騙っているとしか思えないんですよ。

 

いや、結論は私も同じなんですよ「番組の質が低下してきてる」という点は。そこに若干の腹立たしさがあるという所もよくわかります。今の現状を嘆きたい気持ちも。 

 

ただですね、それらしい根拠を一切出さずに「劣化だ、知性がない」と言われるのはまだしも、初期からいくらでもあるケースを、さもある時期から突然番組がおかしくなったかのように言い出すのは全くフェアじゃないですし、問題外だと言われてもしょうがないですよね。

 

これまで幾人かのコアな世にもファンの方々や他のファンサイトの運営者様方と交流してきましたが、こんな変なこと言ってる人ひとりもいなかったですし、同じファンサイト運営仲間として、氏がサイトまで作る熱心なファンというのが信じられないというか何というか……。

 

ホント、彼のファンサイトには一体何が載ってるのか気になってしょうがないです。無難な作品リストだけだとしてもですよ、ざっと見ていたら「あれ、ジャニーズって初期から出てるな」とか「芸人も結構出てるな」とか「結構最近でも大御所出てるんだな」とか嫌でも気づくじゃないですか。

 

Wikipediaをななめ読みした人ですら、もう少しちゃんとしたこと言いません!?

 

お願いですから、こんなマニアどころかファンとしての最低限の矜持すらない方と私を誤解されるのだけは勘弁してください…!

◆ 「世にも」は話題性を重視する方向へ転換した?

もう突っ込み所ばっかりで、この箇所だけで本が一冊書けそうなんですが、出来る限り簡潔に。

 

まず、90年代半ばにSMAPの出演が増えたのは、氏の言う通り間違いありません。

95年~99年に放送された12回のSP中、SMAPメンバーの出演は7回と、ほぼ毎年起用されています。これだけ見れば、確かに『話題性重視!けしからん!』となるのは当然のことと言えるでしょう。

 

ただですね、初期の「世にも」が話題性を重視してなかったかというとそんなことはないんですよ。放送開始間もない時点で「世にもはゴールデンに進出してから有名人ばかり起用してダメになった」という声が、世にも好きの間で多数出ていたくらいですからね。

 

また、当サイトのタイトルリストをざっとご覧いただければ判るかと思いますが、番組初期から当時のトレンディ俳優・アイドルの名前がほぼ毎回登場しています。これは元々フジの木曜8時枠が若者向けのアイドルドラマ枠(1986年~)であった事が影響しているのでしょう。

 

さらに、そこへ普段主演をしないような名優・名脇役の方や、あまりドラマに出演しないタレントや文化人といった、ミーハーのみを対象にしているに留まらない話題性のあるバラエティ豊かなキャスティングがなされています。プロレスラーの獣神サンダー・ライガーが起用された際は、恐らく演技があまりにもダメだったのか、台詞が全て声優さんの吹き替えにされているというとんでもない作品まであります。

 

そして、氏の言う『90年代半ばにジャニーズ系アイドルが登用され始めた』というのも事実と異なっていまして、番組初期からジャニーズタレントは主演・助演問わず結構起用されています。

例を挙げるだけでも、元シブがき隊の本木雅弘薬丸裕英、布川敏和。少年隊の錦織一清植草克秀男闘呼組高橋一也前田耕陽光GENJI山本淳一佐藤寛之SMAP森且行TOKIO松岡昌宏、CHA-CHAの中村亘利、ソロタレントの近藤真彦中村繁之田原俊彦野村義男……と、多くの方が出演されています。これらの流れで、しかも当時絶大な人気を誇っていたSMAPメンバーが出演するのは自然なことと言えるでしょう。

 

特番になるとそれが顕著で、TVシリーズ特番の7回分中、そのうちジャニーズタレントの起用は5回。言ってしまえば、番組初期からジャニーズが起用されてる割合は高かったんですよね。

 

では、最初から脚本は二の次だったのかと言うと、それもまた違っていまして。

あくまで脚本が第一で、次いで話題性も(商業的な面で)ある程度重視していたと言うのが実際の所です。

 

当時から現在に至るまで、大半のテレビドラマは、芸能事務所の関係で何ヶ月も前からキャスティングを決めており、後からそれに合ったストーリーを作っていくという手法が取られています。しかし、「世にも」の場合は、基本的には脚本会議で選ばれた最良の脚本を決定した上で、キャスティングを決めて行く手法が取られており、当時のTV誌でも『今のTV業界では珍しい』とまで言われています。

 

『でも同じグループから次々に起用していくのは話題性目当てじゃないの?』と言う方もいるかと思います。ちょっと思い出して頂きたいんですが、「世にも」の特番って毎回、主役が5人いるんですよね。

 

そしてご存じない方もいるかもしれませんが、実はこの番組では『いろんな人間の奇妙な物語を見せるため、毎回主演キャストの性別や年齢層をあえてバラけさせている』んですね。もちろん例外もありますが、これは初期から現在でも続いている番組ルールの一つです。

 

例えば、SMAP全盛期回に出演された他の役者さんを見ると、岡本信人鹿賀丈史山崎努小野武彦伊東四朗渡辺謙……とまぁ、しっかりしたオジサマ系の方々も結構主演されているわけなんですよ。本当に話題性優先・数字優先になったとして、岡本さんや小野さんのような脇役派のオジサマ方を貴重な特番の主演に起用するような冒険を行うでしょうか? それとも私が知らないだけで当時SMAP以上に数字が取れる人気があったんでしょうか?

 

SMAPというグループだけに注目してみると確かに偏りを感じるものの、それを外して見れば、当時の人気者に加え、普段主演をしないような俳優さんやタレントなどバラエティ豊かなキャスティングという初期からの姿勢が未だ一貫してきている訳です。この場合、番組の低下を嘆くなら「皮肉にも脚本が低下し、残る話題性をウリにするしかなくなってしまった」くらいなもんでしょう。

 

それでも、その年に流行った芸人やタレントを即座に起用する「ほんとにあった怖い話」のようなミーハーっぷりとも違い、「世にも」では安易に話題性のみを追い求めていっているようには感じないですかね。

◆ 作風変化の原因とは

2010年に入ってから私自身も「これは暗黒期なんじゃないか…!?」と、初めて危機感を覚えたくらいですから、当時の最上氏が激しくお怒りになるのも当然な所はあるかもしれません。社会風刺至上主義みたいな主張は、私個人の感覚とは相反しますが、従来の傾向から行って作風が変わってきたのは事実です。事実なんですが、その原因をジャニーズだの、話題性だの、適当な事を言われては困るという話で。

 

私が全体を読んで最も突っ込みたかったのは、最上氏ほどのオタクが番組の質に最も関係する脚本・演出と言ったスタッフの話題に終始全く触れてない所なんですよ。普通、ストーリーがウリの番組で、ましてや20年以上番組のオタクを続けてサイトまで作っちゃう人が、その辺に一切言及しないのも変な話です。落合正幸星護鈴木雅之小椋久雄、中村樹基くらいの名前は、関連書籍では必ず触れられてるくらいの重要人物ですからね。最上氏の挙げる名作の数篇もこれらの方が手がけてます。

 

しかも、そういうスタッフの変遷と最上氏の指す時期とは完全にリンクしてるんですよ。

 

例えば、90年代後半ではSMAPメンバーの出演が増えただけでなく、これまでいくつかの制作会社が携わってきたスタイルから「共同テレビ」の単独制作が定番化し始めた時期なんですよ。それにより、脚本家や演出家の顔ぶれも似たような布陣で制作されるようになっただけでなく、ネタ切れ問題のために年4回だった放送が徐々に減少し、現在の年2回放送へと変わった97年からは世にものメイン作家であった戸田山雅司さんが離脱するなど、徐々に初期からの色が薄れ始めます。

 

そして『SMAPメンバーが一通り出演を果たし、SMAPの特別編が作られた』2000年代を迎えると、黄金期を支えてきた落合正幸星護小椋久雄、高山直也、鈴木勝秀、中村樹基などのメンバーが次第に離脱し始め、氏が『ジャニーズに占拠された、脚本が低劣化していった』という2006年頃になれば、これまで「世にも」にあまり関わりのなかった若手スタッフにほぼ入れ替わっているんですよ。

 

この辺のことは、マニア唯一のバイブルであり、各ファンサイト運営者はほぼ全員が持っている「世にも奇妙な本」を読んでいれば、この辺の事は嫌でも判るはずなんですよ。スタッフの変遷を意識せざるを得ない内容になってますからね。いや、読んでいなくとも最上氏の挙げる名作を手がけてきたスタッフが全員居なくなってる時点で「○○がいた頃は良かったのに今は…」くらいは言いたくなるもんですが…。

 

結局、私がこれらの箇所を読んで客観的にわかったのは、最上氏が「ジャニーズと流行りの芸人がとにかく嫌い」という事だけです。ジャニーズ憎しが先行していて、それ以外の要素に全然目を向けてないですし……。

 

別に話題優先万歳だとか、ジャニーズをじゃんじゃん出せと言う訳じゃないんですよ。

こういう浅薄な見解が、読者の方々に世にもオタの代表的意見みたく扱われるのはちょっといただけません。

番組の現状を批判したくなる気持ちはよ~くわかりますが、怒りで痙攣を起こして、口角泡を飛ばすくらい世にもが好きならば「世にも奇妙な本」か、最低でもWikipediaくらいは読んでおいて欲しいもんですね…。

 

例えば熱狂的なジブリオタクを名乗る人が、ジブリ映画を批判する際に「ジブリ映画がつまらなくなったのは、プロの声優を使わず、芸能人を起用するようになったからだ。その時期からジブリ映画は作品の質よりも話題性を優先するようになった」なんて事を宮﨑駿の自作に対する考えの変化やら、時代背景やらを無視した事を言っていれば、多くのアニメファンから総ツッコミが入りますよ。

熱心なオタクを自称するならば、もう少しわかってる上で批判してくれよって話です。

 

これが「90年代後半、共テレの一社体制&スタッフが固定化されマンネリを招きだす。00年代に入り初期スタッフが離脱し始め、若手がメインになるが質の低下が激しくなり、遂には流行りの芸人を出し始める。これは思うに次の人材を育成せず、目先の数字だけを追い求め、番組のブランドや出演者の話題性といった物に頼りきっている結果であり、その怠慢が今の番組に反映されているのだ」という感じだったならば、まだ理解できるんですけどもね。

 

そして、対する著者の古谷氏による、「フジから知性が失われたのは明らかで、その行き着いた先が韓流である。世にもの質の低下時期と韓流とは時間的に符合している」というシメも、数ある中の一番組の一個人の感想だけで判断するのは、いくらなんでも早計すぎじゃないかと。

 

フジに問題が一切無いとは言いませんし、私としても問題意識を感じている部分も多々ありますが、さすがに唐突すぎて結論ありきな印象しかありませんでしたね……。

◆ 最上義雄とは何者か?

一通り読み終えて「……この人、本当に実在するの?」と思わずにはいられませんでした。

 

私の知ってるファンサイトさんやコミュニティに、こんなトンチンカンな事を言っていた人はいませんし、10年以上毎日「世にも」で検索してる私が氏の運営するサイトに思い当たる節が無いというのも……。この界隈ってかなり狭いのでそんなサイトがあればとっくに知ってるはずですしね。

 

メールの方からも「著者にメールで質問しても返事が来ないので、他の管理人さんに思い当たる節はないか」とのことで、ちょっと調べてみることにしました。

 

第一前提として、現在世にも奇妙な物語のファンサイトは世界に3つしかありません

 

世界最初の世にもサイト世にも奇妙な物語」さん

全作品のあらすじを掲載している世にも奇妙な物語データベース」さん

そして、私の運営する世にも奇妙な物語 ファンサイトの特別編」。この3つ。

 

私は当然取材なんて受けていないので、残るサイトは2つ。

まず、初代ファンサイトの「世にも奇妙な物語」さんは、当BBSにて2004年頃の時点で「最近は見ていない」とおっしゃられていた他、2005年より更新を停止しており、居住地も異なるため候補から外れます。

 

一番可能性があるのが「世にも奇妙な物語データベース」さん。

このサイトでは一貫して「よにきも」という略称を使っており、文中で最上氏が使っている略称と全く同じです。が、管理人さんにメールで問い合せてみると、運営関係者に該当する人物は誰ひとりいないとのこと。

 

他、現在3つある同盟サイトや、ブログ、1頁サイト、mixiFacebook等のSNSも調べましたが、ファンサイトと呼べそうな物はほぼ無く、それらしい所も管理人のプロフィールなどを調べた結果、性別や居住地が異なっている方ばかりでした。

 

そうなると、もうこの世に『ファンサイトを運営する東京都の最上義雄』なんて人いなくないですか?

 

この最上氏が「管理人を偽って」取材に応じた可能性も無きにしも非ずですが、世にもについて話を聞こうと『訪ねた』とあるわけですから、以前から最上氏と知り合いだったのでなければ、著者自ら世にもオタクにコンタクトを取ろうとしたはずです。

 

しかし、ウチに取材依頼は届いてませんし、他の方の所にもそういったものは届いていない模様。検索すればすぐ見つかる好都合のサイト達をスルーするというのも変な話です。

 

……この辺りで、かなり黒に近いグレーだなと。そこで、著者である古谷氏のブログやTwitterを当たらせてもらいました。もし、最上氏=古谷氏であるならば、何かしら両者の間に類似点が見受けられるのではないかと。

 

まず、古谷氏は2010年の段階で既に『世に奇も』という、最上氏と同じ略称を使用しており、最上氏に合わせて文中に使っている訳ではないことがわかります。

 

 

他、両者が挙げる名作を比較すると、7~8作程のラインナップ中「峠の茶屋」「ズンドコベロンチョ」「ハイ・ヌーン」「ロンドンは作られていない」「最後の喫煙者」「熊の木本線」と被りが多く、古谷氏のツイートに最も多く挙げられ、5大タイトルの一番手にもなっている他、古谷氏の敬愛する作家だという筒井康隆原作の「熊の木本線」は、最上氏も当作品のみ「大傑作」と言う称号を与えています。

 

「熊の木本線」を一番に挙げる人って、なっかなかいないんですよね。名作ですが比較的語られにくい作品ですし。

 

 

そして古谷氏の番組批判の内容も「ジャニや芸人を使い出す=社会風刺性を失った」と、最上氏と非常によく似た構造の意見。

 

10年ほどネットを見ていて「ジャニーズばかり出すな」や「社会風刺が無い」といった各要素別々の批判はあれど、両者を結びつけて質の低下とする変わった意見は、私はこのお2人以外見た事がないです。こういった珍しい見解が被るとなると、両者は同一人物の可能性が高い気が…。

 

以上から、質問に対する私個人の答えとしては「最上義雄氏は実在せず、著者による創作の可能性が高い」と、させていただきます。仮にそう考えれば、著者の方の年齢が30代前半ということで、SMAP以前のジャニーズ全盛時代や初期の頃の芸能事情をあまり知らないでしょうし、最上氏が片岡鶴太郎を俳優として扱っているのも、彼が俳優業全盛の時期的と重なっていますしね……。

 

古谷氏は以前著書で事実と異なる創作箇所を指摘され謝罪した過去があったとのことで、それが2012年3月。本書の出版はその3ヶ月後です。そんな後に仮にもマスコミの姿勢を批判する本で、そういうことをやってしまうはずが無いとは思いますが……。事実なら皮肉が効きすぎてて、この本自体が痛烈な社会風刺そのものって事に…。

 

勿論、あくまで私個人の見解であり100%そうだという訳ではないので、その辺りは誤解なき様お願いいたします。また、最上氏がこちらの記事をご覧になられましたら、ぜひ一度メールフォームにてご連絡ください。内容により一部訂正させていただきます。

 

一応私としては各ファンサイトとこの本は無関係とだけ言わせていただきたいと思います!

◆ ※ 6/3 追記

メールの方から、古谷氏から回答が来たということで、著者ご本人のメールと確認ができたこと、さらにご本人が当サイトとブログも?既にご覧になっているということで、文面の一部を引用させていただきます。

 

ご質問いただきました小生の著作の記述について、
最上某なる人物は過去にSNS内で当該作品のファンコクラブ(原文ママ)を開催していた人物であり無論仮名の取材対象者です。

 

(中略)


なお、最上某の連絡先については、無論取材対象者ですのでお知らせすることは出来ません。
あしからずご容赦ください。
※2年近く前の取材なので、現在でも、最上某氏がSNS内で同様の活動をされているのかは不明です。
以上です。


古谷経衡

 

最上氏はSNS内のファンクラブ開催者との回答をいただきましたが、「非公式ファンサイトの運営という文中の記述から話が変わってないか?」という疑問もあり、SNSがどこなのかもわからないので、まだ少し納得できない部分も…。

 

私、情報探索の為に著名なSNSの世にもコミュニティは4~5年前から定期的にチェックしてるんですが、上にある様に既に確認済みです。1~2年前の段階で取材しようと思えるコミュやIDで、今消えてる物は思い当たらないんですが…うーん。

 

無論こちらの見落としや、特殊なSNS内の可能性は十分ありますが、それでもSNS名くらいは言っても問題ないはず。メールの方も同感だったらしく、その辺を古谷氏へ最後にお聞きして貰う事になりました。もしお返事をいただければ再度連絡してくださるそうなので、その時さらに追記しようと思います。

 

ひとまず、私から著者の方に言えるのは、SNS内でファンクラブを開催している様な人を「非公式ファンサイト運営」と書くのは他のサイトさん方含めて誤解を招かれやすいですし、若干誇張表現気味なので、今後気をつけられた方が良いと思われますということ、そして今後「世にも」について取材する際、最上氏は辞めた方が良いでしょうね、とだけ。

◆ ※ 6/5 追記

古谷氏から再度のお返事が来たという連絡を頂いたので、追記を簡単に。氏によると「記述の件はファンサイトという言葉の解釈の違いと考えてもらっていい」そして「最上氏と知り合ったSNSmixi、コミュニティが現在もあるか不明」とのこと。

 

SNS内のファンコミュニティと非公式ファンサイトはちょっと違うような気もしますが、とにかく言葉の解釈の違いという事ならば、それ以上文句はありません。

ただ、件のSNSmixiっていうのは、個人的にはまだ引っ掛かりがあったりするんですよね。以前の追記を書いた際、SNSはまずmixiの事では無いだろうな、とは思っていたので……。

 

私は2006年春頃からmixiのファンコミュニティを定期的にチェックしているんですが、番組関連コミュニティは、単独作品系等を合わせて全部で10個程しかありません。その中で番組単独は「世にも奇妙な物語」と「世にも奇妙な物語原理主義」の2つのみです。後は最上氏の嫌いなジャニーズ出演作や、近年の作品のみ。

 

特に前者の「世にも奇妙な物語」は2004年から運営されている最古のコミュニティで、規模は1万人以上。「原理主義」の60数名と比べて、圧倒的な大コミュニティとなっています。

 

しかし、どちらのコミュも、最上氏と年齢や居住地が合致する運営の方はいませんし、ご本人らの書き込み等を見ても最上氏の見解とは異なっている様に思えます。念のため、単独作品系のコミュニティも調べましたが、やはり最上氏の情報・考えとは異なる方ばかり。

 

少なくとも、ここ7年ほどmixiを見ていて、これら以外に番組単独系の物が出来たことはありません。仮にあったとすれば、絶対チェックしているんですよね。どこに情報が転がっているかわかりませんし。勿論、数日間だけ存在して消えてしまったレベルの物なら見落としがあるかもしれませんが……。

 

正直、私個人としては今回「かなり黒に近いグレー」という認識が揺らぐことはありませんでした。ですが、私の記憶も完璧ではありませんし、mixiにそんな人はいなかったという完全な証拠があるわけでもないので、その辺りについては世にもファンの方々、そしてこれをご覧になった本の読者の方がいれば、それぞれのご判断にお任せしようと思います。

 

私としては、最上義雄氏が本当に実在するのかを知りたかっただけであり、著者に対して、内容の文句は言えども、何かしらの糾弾をしたいわけではありませんでしたしね。あまりこの件を引っ張るのも、サイトの趣旨から外れてしまいそうですし……。

 

というわけで、今回の件については以上で完全終了とさせていただきます。最後に各ファンサイト・コミュニティ運営の方々、今回の件でメールを頂いた方、そして著者の古谷経衡氏、お忙しい中ご協力ありがとうございました。

 

あ、一応、最上氏については引き続きご連絡をお待ちしたいと思いますので、当記事をご覧になられましたら、是非一度、メールフォームの方へご一報いただければ……。内容如何により、訂正・修正させていただきます。