世にも奇妙な物語 ブログの特別編

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10年代"奇妙"総括

◆ お知らせ

当サイトでは現在2010年代後半作品の人気投票企画を実施中です。

投票期間は2020年4月10日まで。アナタの投票をお待ちしておりますm(_ _)m

 

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※ 当サイト主催の非公式企画のため、フジテレビ等とは一切関係ありません。

 


 

『10年ひと昔』という言葉もあるように、10年というのは短いように見えて物事が移り変わるには十分すぎるほどの期間でもあります。そしてそれは我らが「世にも奇妙な物語」も例外ではありません。

 

先日放送された「'19秋の特別編」をもって、2010年代の「世にも奇妙な物語」も無事に終了を迎えました。「あ~楽しい10年間だった!」で済ませるのも勿論良いですが、非常に濃い10年間だったこの時期をちゃんと振り返ってこその"ファンサイト"。

 

というわけで、この10年代が「世にも奇妙な物語」にとってどのような期間であったのかを振り返りつつ、2020年代の「世にも」についても併せて考えていきたいと思います。

◆ 古参スタッフの離脱が加速

2010年代に入って、地味に大きな出来事となったのは、これまで番組を支え続けてきた古参スタッフ……特に番組の根幹を成すプロデューサー陣が番組から離脱・距離を置くケースが増えてきたことでしょう。

 

まず2010年に入ってすぐ、深夜の立ち上げ時からほぼ毎回メインプロデューサーの一人として携わってきた石原隆さんが、映画事業局への異動を機に番組から離脱。(現職は取締役兼編成担当)

 

さらに、演出家四天王の一人であり、メインプロデューサー・監修としても長年関わって来られた小椋久雄監督が、2015年をもって共同テレビを退社しフリーに。近年はストーリーテラーパートの演出等、名誉顧問的な立場で番組に携わっていますが、メインどころは後進に道を譲った形に。

 

ほか、小椋監督と共に初期から特に90年代~00年代のSPではほぼ毎回プロデュースを担当されてきた岩田祐二さんも、2015年を境に番組への参加が減少しています。

 

世にも奇妙な物語』のプロデューサーといえば、番組にとって重要部である『映像化プロットの選出』『回全体のテーマや狙いを決める』といった業務も担当しているわけで、当然下の世代にもそのスタイルは継承されているとはいえ、これまで培ってきたカラーが若干変わってしまうのは避けられないでしょう。

 

2000年代では落合正幸星護、中村樹基といった映像面のメインスタッフが離脱していった訳ですが、それから10年を経て、遂に番組の根幹を左右する部分にも時間の波が押し寄せてきたんですね。

◆ 新世代の大躍進と原点回帰

 2000年後半から古参スタッフが離れだしたことで、その辺りから現れた次世代がメイン所を張るようになったのもこの時期。

 

演出面では2000年代中期頃から活躍してきた植田泰史(「イマキヨさん」等)、岩田和行(「恋の記憶、止まらないで」等)、都築淳一(「寺島」等)、城宝秀則(「少年」等)ら共同テレビの面々が挙げられるでしょう。

 

中でも植田監督は、2002年から現在まで17年連続参加記録を持つ、世にもフリークの間ではお馴染みのメインディレクターに。そんな監督も2018年からプロデューサー業を兼任するようになり、よりいっそう番組の中核的存在となっていきます。

 

さらに、ホラーをメインに手掛けるようになった松木(「墓友」等)や、助監督を経てようやく演出家デビューを果たした山内大典(「鍋蓋」等)、元々TBSに所属していた後藤庸介(「未来ドロボウ」等)などの新顔も続々と登場。

 

脚本面でも、和田清人(「相席の恋人」等)、ふじきみつ彦(「JANKEN」等)、向田邦彦(「恵美論」等)、ブラジリィー・アン・山田(「永遠のヒーロー」等)といった若手作家の台頭が目立つように。

 

新人が中心になったことにより、内容としてもコラボSPといった派手なアニバーサリー企画が定番化されるようになっていきます。しかしその一方で、黄金時代の色を失わぬようにするためか、『原点回帰』を図るような動きも同時に起こってきます。

 

その顕著な例が、90年代後半~00年代前半のメインライターであった高山直也(「懲役30日」等)をはじめとした、中村樹基(「壁の小説」等)、橋部敦子(「夜汽車の男」等)、演出家では落合正幸(「雪山」等)、星護(「チェス」等)、鈴木雅之(「ニュースおじさん」等)、石井克人(「BLACK ROOM」)、筧昌也(「美女缶」)など、過去の名作を手掛けたスタッフたちの再起用。

 

公式側からも『今回は原点回帰がテーマです』といった発言がなされるようになり、これら新人発掘と原点回帰とをバランス良く織り交ぜていこうとする流れが出来たことが、2010年代の特徴のひとつであると言えるでしょう。

◆ 後藤PショックとPR戦略

 2010年代の「世にも」を語る上で決して外せない人物と言えば、2014年から約3年間メインプロデューサーとして携わっていた後藤庸介氏。

 

2014年秋から翌年2015年にかけて氏を中心として行われた一連の仕掛けは、これまで殿様商売的だった「世にも奇妙な物語」に強烈なショックを与え、2010年代後半以降の番組を良くも悪くもガラリと変えてしまいました。

 

2014年秋の就任早々、史上初の深夜傑作選『深夜の特別編』や『超短編の復活』。ファン向けに『自身のTwitterでの番組実況』や、特番シリーズ化以降初となる『古参プロデューサーの監修を一切排除した完全若手主導スタイルでの制作』など、番組内外に新しい風を巻き起こすことになります。その甲斐もあってか『'14秋』の視聴率は前回から2.3%増の14.5%を記録し、大成功。

 

この成功の翌年に25周年というアニバーサリーイヤーが到来したことも手伝い、後藤Pらスタッフはこの勢いを保ったまま、以下の3つの柱を中心とした番組改革を推し進めていくことになります。

 

まずひとつめは、前出の『深夜の特別編』や『超短編の復活』、2015年の『人気投票&リメイク特番の企画』『お台場での上映企画』『所在不明だった「雨の特別編」マスターテープの発掘』といった『従来ファンへのアピールを核としたPR戦略

 

さらに『YouTubeでの連載企画』『深夜の帯シリーズの放送』『番組とネットの連動企画』といった『新路線の積極的な模索』。

 

そして、『公式Twitterの立ち上げと運営の開始&番組実況の定例化』『長年放置されていた公式サイトリニューアル&全話アーカイブの制作』『放送直前まで話題性を持続させるため、情報解禁時期の細かな変更』といった『ネット時代を踏まえた環境整備とそれに合わせたPR手法の本格導入』。

 

それらの試みが最良の形で実を結んだのが、当時異例のバズりを記録した『ががばば』。

 

Yahoo!JAPANにてこのワードを打ち込むと、ブラウザ上にホラー演出が表示されるという後に多数の企業が真似ることとなったこの企画は、Yahoo!検索ランキングで絶対王者であった『YouTube』を抜いて第1位に輝き、様々なネットメディアでも取り上げられる事態となりました。

それ以降、ネットを中心としたプロモーションは一般的となり、今では『世にもといえば放送前の企画』といったイメージも若年層を中心に根付いてきている模様。

 

こうしたネットを意識したPRは、これまで旧態依然とした制作スタイルであった「世にも」ではまず考えられなかったもの。後藤Pの登場はデジタルネイティブ世代主導による「世にも」の新時代の始まりを告げる、革命的な出来事だったと言えますね。

◆ フジテレビ不況とPR企画の定番化

アニバーサリーイヤーであった2015年が終わってから、『世にも』を取り巻く環境は徐々に悪化の道を辿ることとなりました。

その大きな原因となったのが、2015年後半から始まった『フジテレビの不調』。

 

昨今のテレビ離れに加え、フジテレビ自体の魅力低下により、この年開局以来初となる赤字に転落。数字も下落の一途をたどり『サザエさん以外の全番組がヒトケタ台』なんて週もあったほか、番組中に芸人らが『がんばれフジテレビ!』との発言をして笑いを取るなんて光景も度々見られました。

 

この影響で『世にも』含むフジ番組の制作費も大幅カットされたほか、『'17秋』では初となる視聴率ヒトケタ台を記録。さらに前年の2週連続の予算分を浮かすためか、5回に渡って1話ずつ減らした4話編成での放送となるなど、25周年の賑やかさの反動が一気に押し寄せた時期となってしまいました。

 

その一方、この時期から番組が注力し始めたのが『放送前のPR企画』。

 

2015年の『ががばば』の大ヒットによってネットPRの凄さを学んだためか、2016年秋から『うんこミュージアム』等のPR企画業を取り扱う"面白法人カヤック"と手を組んで、以降放送前には趣向を凝らしたPR企画が続々とお目見えするようになりました。

 

その企画内容は非常に多彩で、『日本マイクロソフト人工知能とコラボし、番組内容とLINEが連動』『世界的に有名な都市伝説"This Man"を渋谷やとくダネに登場させるなどのリアルを巻き込むゲリラプロモーション』『渋谷センター街にオリジナル自販機を設置』『YouTuberとコラボ』などなど、未だに印象深いものばかり。

PR企画発表後にはSNSのトレンドに挙がるのも毎回定番となっているほか、現在ではこっちの企画の方を楽しみにしているファンも多くなっているとか。

 

番組側としては、近年『不定期放送であるため、TV告知で届かない層へのアピール』が大きな課題となっていたわけですが、このPR企画のおかげか土曜プレミアム枠の中では年間上位に食い込む回も出てきており、数字そのものは下がったものの、昨今のTV業界全体で見れば比較的安定傾向に。

 

フジテレビにも番組にとっても苦しい時期であった10年代後半ですが、そんな中でも、今のテレビではできないことをやる『世にも』本来の精神が、新たな面白さを発揮できた時期にもなったのでした。

2020年代の「世にも」の課題

以上、世にもの2010年代をざっと振り返ってみましたが、改めてこの10年の番組史を見ていくと、同時に今後の課題も見えてくるような気がします。

 

例えば今後さらに黄金期スタッフの参加がほぼゼロに近づいていくのが目に見えており、今後番組の色をきちんと継承していける次世代スタッフの育成がより必須となっていくでしょう。

 

また、PR企画が成功しているとはいえ、後々マンネリに陥らないとも限りません。「とりあえずPR企画をやっておけば良い」といった安易なルーチンワーク化する危険性もあります。その際、新たな一手に切り替えることができるか否か。

 

また、昨今の『ネタバレ提供バック』や『バラエティ色強めのコラボ企画』といったケースを見ていると、番宣手法の拡大化や派手さを追い求めすぎる傾向が徐々に出てきていますよね。

 

現在のテレビが概ねそうだから…といえばこれも時代の流れなのかもしれませんが、どこまで『世にも』のカラーを壊さずにその時代に合った作りにしていけるかという部分も、個人的には気になる所です。

 

この間の'19雨のように、フジの若手Pが「"雨の特別編"は奇妙ファンなら知る人ぞ知るタイトルでもあるので、スタッフの反対を押し切ってイチかバチかで付けちゃいました!(笑)」という、地獄のようなノリを参加早々ブチかましてくるケースもあるので……。

 

同じフジ側であればかつての石原隆氏のような、番組のカラーを適度に守って適度に崩せる方がメインを張ってくれるようになるとマニア的には嬉しいですね。

 

その他にも『アニバーサリーイヤーのコラボ縛りから脱却するか新しい路線に行くか』『さらに伸びるであろうNetflixなどの配信サービスとの付き合い方は?』といった辺りも頭に浮かんだりしますが、これらを踏まえてみて改めて思うのは……

 

2020年代の「世にも奇妙な物語」も面白いことになるんじゃないかという期待感!

 

もしかしたら数字低迷で番組が終了してしまうかもしれないし、とんでもない不祥事を引き起こして表舞台から番組の名前が抹消されるかもしれません。

 

そういった不安や心配も数あれど、この30年いつだって時代に寄り添い、新しいこと面白いことを多くの才能が試行錯誤してきた「世にも」だからこそ、先行きの見えない時代の中であっても、未知の奇妙や楽しさを我々に届けてくれるに違いありません。

 

4月19日が来れば『世にも奇妙な物語』は記念すべき30周年目に突入します。

果たしてどんなアニバーサリーイヤーを迎え、その後番組はどのように進化していくのでしょうか。

 

これまでの奇妙な10年を奇妙な世界の住人として過ごしてきた我々だからこそ、これからの10年もじっくりと見守っていきたいですね。